歴史

秩父は、埼玉県の中央部と東部、さらに西へいくと関東山地の一角である秩父山地となっています。その秩父は、縄文時代以前から人間が生活をしていたとされており、50ヵ所以上の縄文遺跡も発見されています。秩父という名前は、紀元前97〜前30年頃の崇神(すじん)天皇の時代に、知知父国造(ちちぶくにのみやつこ)が任命されたとされています。その時のことが旧事記に書かれていて、「秩父」ではなく「知知父」と記されていました。「知知父」が「秩父」となったのは、元明天皇の時代だとされています。

 

西暦708年に、現在の秩父市黒谷で自然銅が発見されました。この時に「秩父」という二文字の名前になったのです。さらにこの年を、和銅元年として、発見された自然銅を使い、かつて日本で最も古い通貨とされていた「和同開珎」がつくられたのです。

 

鎌倉時代には、秩父にも鎌倉仏教の信仰が広まっていきます。その時の秩父札所34ヵ所は、日本百番霊場に数えられています。そして、江戸時代になると、絹織物産業が発展していき、明治、大正に至るまで、秩父は織物が地域の中心になる産業として発展していきます。

 

大正3年には、秩父から熊谷までの鉄道が開通します。そこから秩父は今までの織物産業だけでなく、他の産業も急速に発展していきます。武甲山石灰石採掘によるセメント業、農林業なども産業の中心となっていきます。現在はそれらの産業に加え、東京都市圏のベッドタウンとしても秩父は大きな役割りを果たしています。